History of Miyajima

神をいつきまつる島は、
千四百年、祈りの上に建っている。

海に社殿を建てた理由も、山に火を絶やさない理由も、鳥居が自分の重みだけで立っている理由も、すべて「島そのものが神である」というひとつの考えから始まります。
泊まる前に、この島の時間を少しだけ。

物語を読む

Timeline

千四百年を、ひと目で。

  1. 593創建の伝承
  2. 806空海、弥山に
  3. 1168清盛の社殿
  4. 1407五重塔
  5. 1555厳島の戦い
  6. 1587千畳閣
  7. 1875今の大鳥居
  8. 1996世界遺産
  9. 2022大鳥居修理竣工

Nine chapters

海と山と、人が重ねてきた
九つの時間。

593 / 創建の伝承

島そのものが、神だった

嚴島神社の御鎮座は推古天皇即位の年、593年と伝えられます。この島を治めていた佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下り、神鴉(ごからす)の先導で島の浦々を巡って、海水の差し引きする今の場所を選んで社殿を建てた──と、神社の由緒は語ります。祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三女神。島そのものを神として、陸ではなく潮の満ち引きする浜に社を建てた。この選択が、千四百年後の今も続く宮島の姿を決めました。

海に立つ嚴島神社の大鳥居

出典:嚴島神社の由緒(公式の案内による。創建年は伝承)

806 / 空海と弥山

山の上に、消えない火

唐から帰った空海(弘法大師)が宮島に渡り、島の最高峰・弥山で修行したのが806年(大同元年)。島でいちばん古い寺、大聖院の始まりです。弥山の霊火堂には、大師の修行のときから燃え続けると伝わる火があり、「消えずの火」と呼ばれます。明治の伊藤博文は山頂からの眺めを愛し、私財を投じて今の登山道をつけたと大聖院は伝えています。海の神社と山の寺。宮島の信仰は、はじめから海と山の両方にありました。

大聖院・万灯堂の千の灯籠

出典:大聖院「大聖院とは」「弥山とは」

1168 / 平清盛

都の文化が、海の上に建った

安芸守となった平清盛が、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた社殿へと修造しました。今の社殿の姿は、このときに決まったものです。承安4年(1174年)には後白河法皇、治承4年(1180年)には高倉上皇が参詣し、都の文化が島にもたらされました。弥山本堂に残る大梵鐘は清盛の子・宗盛の寄進で、国の重要文化財です。

夜、朱に灯る嚴島神社の社殿と回廊

出典:嚴島神社の由緒、大聖院「弥山とは」

1407 / 室町

塔が建ち、祈りが積み重なる

平家から源氏の世になっても崇敬は変わらず、室町時代には足利尊氏・義満も信仰を寄せました。応永14年(1407年)には高さ29m余りの五重塔が建ち、大永3年(1523年)には禅僧・周歓が多宝塔を建てます。どちらも国の重要文化財で、今も丘の上から海の社殿を見下ろしています。戦国の世には大内家、そして毛利家が、この島を篤く崇めました。

朱の回廊のむこうに大鳥居

出典:嚴島神社「文化財・建造物」

1555 / 厳島の戦い

毛利元就、島で天下への道をひらく

天文24年(1555年)10月1日、毛利元就は陶晴賢をこの島で奇襲して破り、晴賢は自刃しました。元就はこの勝利で周防・長門を手中に収め、中国地方最大の戦国大名へと駆け上がります。神の島を戦場にした元就は、その後も嚴島神社を篤く崇敬したと神社の由緒は記しています。海の上の社殿が今の姿で残っているのは、勝者がこの島を守る側に回ったからでもあります。

出典:日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典ほか(コトバンク「厳島の戦い」)、嚴島神社の由緒

1587 / 豊臣秀吉

未完のまま、四百年

天正15年(1587年)、豊臣秀吉は千部経を読誦するための大経堂の建立を発願し、安国寺恵瓊に命じて建てさせました。秀吉の死後、天井の板張りや外構は完成しないまま今に至ります。その広さから「千畳閣」と呼ばれ、明治5年(1872年)に秀吉を祀る豊国神社となりました。未完成のまま四百年以上、海を見下ろしています。

嚴島神社の回廊から望む大鳥居

出典:嚴島神社「境外摂末社・豊国神社」

1875 / 八代目の大鳥居

自分の重みだけで、海に立つ

今の大鳥居は明治8年(1875年)に再建された、平安時代から数えて八代目です。高さ約16.6m、重さ約60トン、棟の長さ24.2m。主柱は楠の自然木で、地面に埋め込まれているのではなく、その重みだけで浜に立っています。2019年6月から2022年12月にかけて屋根の葺き替えと塗装、部分修理が行われ、今の姿になりました。

夜、灯りに浮かぶ大鳥居と水鏡

出典:国土交通省「みなとオアシスみやじま・みやじまぐち」資料、嚴島神社「工事状況及び計画」

1996 / 世界遺産

世界の宝になった、日本三景

松島・天橋立と並ぶ日本三景「安芸の宮島」は、平成8年(1996年)、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。本殿・幣殿・拝殿・祓殿、客神社、東西の回廊の6棟が国宝、ほか11棟3基が国の重要文化財です。社殿の回廊は、高潮を受け流すために板に隙間を空けた造りになっています。海と共に生きるための知恵は、建物そのものに残っています。

夜、石灯籠の列と朱に灯る社殿

出典:嚴島神社の由緒・文化財、文化庁「世界遺産一覧」

いま / 続く祈り

千年先も、いつくしむ

旧暦6月17日の管絃祭では、海上の御座船で雅楽が奏でられます。日本三大船祭のひとつで、清盛の時代の都の遊びが、今も海の上で続いている祭りです。神社は年中無休、朝6時30分に開門し、季節により17時から18時30分に閉門します。島に泊まる人は、開門とともに誰もいない回廊を歩けます。この千四百年の続きは、島に残る人のものです。

出典:嚴島神社「境外摂末社」「拝観施設及び料金」

このページの年代と数字は、嚴島神社・大聖院・文化庁・国土交通省の公式資料と、日本大百科全書などの辞典に基づいています。「伝えられる」と書いたものは、史料で確定していない話です。

Etiquette

島が、訪れる人に願う三つのこと。

自然と文化・歴史を守ってきた島の人々の営みを知り、訪れた人にも、住まう人と同じように島の守り人になってもらいたい。廿日市市が作った2分の動画です。島に渡る前に、一度ご覧ください。

廿日市市 公式動画「気高く、美しく、尊い、宮島のすべてを未来へつなぐための心得」(2分15秒)。宮島おもてなしトイレで放映、フェリーターミナルに看板掲出。

廿日市市「神をいつきまつる島 宮島へようこそ」のページ →

千四百年の続きを、
今夜、島で。

日帰りでは、この島の夜も朝も見られません。
泊まる人だけの時間へ。

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高付加価値の旅程を、ご一緒に。

宮島に1泊、中山間エリアに1〜2泊。旅行会社・DMCの皆さまとSea to Summit旅程(宮島1泊+中山間1〜2泊)を造成しています。商品シート・料金・FAMトリップのご相談を承ります。

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The other side of Hatsukaichi

海抜0mの世界遺産から、
標高1,000mの森へ。

宮島の桟橋から車でおよそ1時間。同じ廿日市市の北には、西中国山地の高原と原生の森が広がります。ジップライン、雪、渓流──島の静寂の次は、山の冒険を。

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